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2019-10-25

大好きな嫌われた叔父

幼い頃から大好きだった人がいた。

それは父親の姉の旦那。つまりは血の繋がりがない叔父。

物心がつくまで優しく大好きな叔父が皆から嫌煙されているなんて知らなかった。

 

叔父は昭和を代表するような性格。頑固で口より先に手が出るような荒々しい性格で、情に厚く男気溢れる人だ。「自分がみんなを幸せにする!最後までみんなの面倒を見る!」そんな一族の大黒柱として男らしさが輝く人だった。

仕事は大工をしていた。棟梁とまでなり、その腕は表彰されるほど。そんな叔父が幼い僕にはカッコよく輝いて見えていた。お盆やお正月など、叔父と会える日が楽しみで仕方なかった。会える日には喜んでほしく、いつも叔父の大好きな日本酒とバナナボートを用意していた。

叔父は運転と車が好きで、いつも朝早くにドライブに連れて行ってくれる。

朝の四時頃に起き、色々なところに訪れる。時に自然の景色を見に、時に朝の歓楽街を見に、そんな朝のドライブが僕の目から心に新しい記憶を埋め込むような、新鮮な気持ちが心を躍らせた。

料理も得意で、よく料理を作ってくれた。魚を捌くのが上手で、釣ってきた魚を捌く腕は抜群だった。「美味しい!」というと叔父は心から笑っていた。

いつも楽しそうに僕達を笑わせてくれて、僕を含め、従姉妹の子ども達もすべてを可愛がってくれる。

 

こんな良いところばかりの叔父が何故嫌われていたのか?僕は大きくなるにつれてその理由を親や親戚から知らされてきた。

理由は気性の荒さ。お酒が好きで、酔うと気が短い性格は怒りと共にすぐ手がでてしまう。

僕の親の結婚式には、祖父と喧嘩になり祖父を殴ってしまったらしい。祖父は顔を腫らしながら結婚式に出席し、とても恥ずかしかったと親が言っていた。

また、叔母にも日常的に手を出していたらしく、暴力を度々ふるっていたらしい。それは幼心から不思議に思っていた事と一致した。僕達は叔父に懐くが、年の離れた従兄妹、つまり叔父の子ども達はまったく叔父に懐いてはいなかった。

親戚は集まった時に叔父の機嫌を損ねないよういつも気を遣う。大人達はそんな叔父に「どうしようもない」と愛想をつかしていたのだろう。

けれども僕には関係なかった。嫌な部分が見えない僕は、大きくなっても叔父が好きだった。たまに酔って電話をくれる。「元気か?」「楽しくやってるか?」「美味しいものを送るからいっぱい食べれよ」といつも僕には優しく接してくれる。

 

ある日、叔父が入院したと連絡があった。胃癌ということでかなり重いらしく、胃を全摘出しないといけないとのこと。僕は手術の前の日に叔父に電話で「頑張ってね!お見舞いに行くからね!」と伝えた。

手術は無事成功し、僕は叔父の病院に向かった。

「わざわざ来てくれたのか。ありがとう」と叔父は元気そうにしていた。けれども胃を全摘出したため、ほとんどの食べ物は食べられないし、大好きなお酒とタバコもダメらしい。

物は少しずつ少しずつ食べられるみたいだが、食べるたびに吐くことを繰り返し、腹痛が襲う。そして叔父の足は腕のように細くなり、見る影もなく数ヵ月でどんどん痩せていった。

叔父はその後、家で苦しみながらも生活している。命が惜しくないように、死に急ぐようにお酒やタバコもまだやめず自暴自棄のような状態で。そのせいか、可愛がっていた実の孫にすら嫌われてしまったようだ。

そしてある時、叔父から酔って電話がきた。

「元気か?」

僕は「叔父ちゃんこそ大丈夫?」と言うと叔父は痩せ細った声で言った。

「死にぞこなった」「もういつ死んでもいいけど死にきれない」と…

叔父は男を代表するような男らしい性格の人。惨めに生きながらえるより死ぬことを選ぶ人だ。それがわかる僕はその思いが胸を刺すように伝わった。

僕は痛いほどわかりながらも生きてほしいという葛藤の中、かける言葉がみつからなかった。

その後は何気ない話をして電話は切れた。自分が招いた結果とは言え、自分が惨めなのは誰よりもわかっているのだろう。幼い頃に見ていた叔父とは随分と違う。それでも僕からすればずっと変わらずカッコよく優しい叔父のまま。

現在も叔父は自暴自棄のような生活と入院を繰り返している。

皆に嫌煙されている叔父は今も孤独と戦っているのだろう。心から叔父の心配をする人はもういない。死ぬまできっとそれは変わらないだろう。けれども僕はただ一人としても叔父が好きだ。どんな人だろうと、最低の人だろうと、僕の中の叔父は優しくて昔の大好きな叔父のままで居続ける。

また今度時間ができたら顔を出そう。

少しでも昔を思い出してくれるよう大好きな日本酒とバナナボートを持って。

 

 

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