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2019-11-21

失われてゆく記憶

人は忘れてゆくいきもの。

忘れたくなくても忘れてゆく。

自分の意志とは関係なく忘れてゆく。

 

祖父は昭和の人にはめずらしく、柔らかな雰囲気で優しい人だった。家事を自らやったり、自分で食事や洗濯などをする人。けれども頑固な部分はあり、自分の信念はどんなことがあっても絶対に曲げない人でもあった。

そんな祖父はある日を境に物忘れがひどくなっていた。最初は年齢も年齢だし、それは当たり前かと思っていたが明らかに祖父の様子はおかしくなっていった。

そして検診の日に祖父が告げられたのは「アルツハイマー型認知症」だった。アルツハイマー型認知症とは、脳の神経細胞が減って脳が小さく委縮してしまうために、物事を忘れていってしまう。徐々に進行する病気で、急激に進行したりするものではないが、それでも祖父は症状が進んでいる状態だった。

祖父は、父親も、姉もアルツハイマー型認知症だったという。あんなにしっかりと自分の信念を曲げない立派な祖父も認知症になってしまった。そして祖父の症状は進んでゆく。

 

冬になり夜も更けた頃、祖父が二階の部屋から下りてきた。もう夕食を食べて寝ている時間なのにどうしたのだろうか?冬支度をした祖父がいきなり「帰らなきゃ」と言った。

「どこに帰るの?家はここだよ?」と言うと、祖父は「田舎に帰らなきゃ。仕事があるから」と言う。昔の記憶と今の記憶が混同している状態。家族のことはわかるが、昔の記憶の中に祖父はいるのだろうか。その記憶と気持ちはどのようなものなのか。

祖父の顔は昔のキリっとした顔ではない。どこかに感情を置いてきたような顔。昔の姿とはあまりにも違うその姿を見ると、なんとも言えない気持ちになり切なく胸を締め付ける。

その日は家族でなんとか祖父を納得させて寝かせた。

けれども日は経ち、祖父の症状はどんどん悪くなっていった。ある日、少し目を離したすきに祖父は外に出たまま帰ってこなくなった。

家族全員で探し、近くの路肩に座り込む祖父がいた。帰り道がわからなくなったのか、そしてどうやら転んだのか足が動かなくなっていた。すぐに病院に連れて行くが、歳のため完治して歩くことは難しいだろうと言われ入院することになった。こうして祖父は歩くこともできなくなってしまった。

数日後退院し、ソファーに座る祖父は言った。

「情けない。情けない…」

アルツハイマー型認知症は時に記憶が戻ったりする。この時の祖父はきっと記憶が戻っていたのだろう。忘れていく記憶、失っていく記憶の中で、ふと今の自分を嘆く。それは言葉にできない気持ちに違いない。

僕はそう嘆く祖父になんて言葉をかけていいのかわからず、「大丈夫だよ」と言うことしかできなかった。

 

祖父は歩くことができなくなっても自分の部屋で寝ることを望んだ。階段があるにも関わらず、這ってでも自分の部屋に行き、ご飯の時は自分の部屋から下りてきた。人を忘れても、一緒に住む家族全員は決して忘れることがなく、きちんと皆の名前を呼んでいた。記憶を失っても、歩くことができなくなっても、自分の信念から外れない祖父は本当に凄いと尊敬する。

それでも祖父の認知症は進む一方。ご飯を食べたことを忘れ、人を忘れ、今を忘れていく。立つこともできなくなってしまった。家族全員で介護をしていたが、それも限界に近づいていた。施設に入所させようと考えても空きがなく、病院も入院させてはくれない状態。どうしたものかと考えていた時に、足の経過を見るために一週間だけ入院させてくれる病院があり、そこに入院することになった。

数日後、病院から電話がかかってきて祖父が危篤になったという。

原因は、脳領域にまで病変が広がることで全身の機能が低下し、循環器・呼吸器疾患などが働かなくなり肺が炎症を起こす「 誤嚥性肺炎」の可能性ということだった。

それでも高齢のため、治療することも、詳しく検査することもできなかった。集中治療室に移った祖父は痙攣から身体が激しく動いている。その光景は痛々しく、苦しみが伝わってくる。手を握り「頑張って」と声をかけることしかできない。

そして祖父は逝った。

最後に涙を流し、頷いたように見えた。

その涙の意味は誰にもわからない。その頷いた意思は誰にもわからない。

自分の命を自ら失くすよう、家族に迷惑をかけることを嫌がるよう亡くなった。

アルツハイマー型認知症にかかった祖父がどんな気持ちだったのかは痛いほど伝わる。それは失われてゆく記憶の中で苦しみと哀しみの葛藤だったに違いない。

それでも最後まで大切な家族を忘れなかった祖父は、認知症というものに負けなかったと思う。その立派な信念と生き方は、僕の中で脈々と受け継がれていく。

 

 

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