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2019-12-27

年越しに渡されたもの

毎年、年越しだけは母方の実家へ行くのが決まりとなっていた。

「年越しだけは」というのは、幼い頃はよく田舎へ遊びに行っていたのが、中学生になった頃から部活動などで忙しくなり、田舎へ行く回数が激減したためだ。

小学生ぐらいまでは、祖父母の家に行くのが楽しみだった。

祖母は料理上手で、家では食べられないような料理を作ってもてなしてくれたし、祖父は自然の知識が豊富で、近くの林や山へ連れて行って山菜採りや昆虫探しなどで一緒に遊んでくれた。祖父が作った竹とんぼやコマなどで遊ぶのも好きだった。

そして、これはとても現金な理由なのだが、田舎へ遊びに行くと、祖父母はいつも僕にお小遣いをくれた。その金額は結構なもので、しかも「お母さんたちにはナイショだよ」と言って手渡してくれたので、自分の自由になるお金が手に入るのも楽しみのひとつだった。

それが歳を重ねるにつれ、めっきり田舎へ行かなくなり、ゴールデンウィークやお盆の時期にたまに行くこともあったが、毎年必ず訪れるのは決まって年越しだけだった。

 

大学を卒業する年、僕は海外の大学を受けなおし、翌年の秋からアメリカの大学で四年間勉強しなおす事になっていた。家を出て四年間日本から離れるのだ。

年越しも四年間はアメリカで過ごす事になるだろう。もちろん日本に一時帰国する事もできなくはないが、航空券は決して安くないし、年の瀬は高くなるし、折角だからアメリカの年越しを楽しみたいという気持ちもあり、帰ってくるつもりはなかった。

渡米前最後の年越し、田舎へ行くと、いつものように祖父母が優しい笑顔で出迎えてくれた。こうして祖父母の家で温もり溢れる郷土料理もまたいつ食べられるかわからないなぁと感じ夜が更けていった。

そして祖父母の家から帰る日を迎えた朝に、祖父母に呼ばれて部屋に行くと最後のお年玉をくれた。毎年の年越しではお年玉の他にもお小遣いをこっそりくれたが、この年はいつもとは少し違った。日本では最後の大学生となるので「最後だから」と言って手渡してくれた包みの中には通帳が入っていた。それはとても重く感じた。

帰って通帳を開いてみると、驚くほどの大金が入っており、更に手紙が添えられていた。

そこにはアメリカへ旅立つ僕に向けた応援の言葉が連ねられていた。そして毎年の年の瀬の楽しみが一つおあずけになるのが寂しいとも書かれていた。

いつも僕を可愛がってくれて、見守ってくれている祖父母。ずっとずっとこのお金を貯めていてくれた。その思いを知り僕の目頭が熱くななる。

日本に帰るつもりは全く無かったのだが、毎年の年越しだけは必ず祖父母に会いに帰国しようと決めた自分がいた。

 

 

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