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2019-10-01

その心は枯れない

傍らで無言に頷く。

その辛さや悲しみを乗り越えることはできるのだろうか。

それを救うものなどあるのだろうか。

あの時は今を生きることで精一杯。

心の病とはその人自身はもちろん、共に生きる人をも苦しめる。

 

家族を襲うその時はやってきた。苦しみのスパイラルは、この時ばかりとどうしてうまく回ってゆくのだろうか。

父が鬱病になった。その時はまだ幼く、鬱病の意味や苦しみなど何一つわからなかった。

鬱病の原因は薬の副作用からきたもの。

この時、家族を襲う不運はくるくると回り始めていた。

ある日、父は昼に仕事から帰ってくるなり布団に入り震えていた。見たことのない父に、その光景は酷く胸を締め付けられる。思春期の頃とあり、父とはあまり会話をしていなかったが、その時は「どうしたの?」と聞くと父は何も答えなかった。それからの父は激しく落ち込み、数日寝込む日々が続いた。

数日後何事もなかったかのように仕事に行き、いつもの生活が始まったと思われたが、それは明らかに違った。今ならわかる双極性障害(躁うつ病)という症状そのもので、明らかにすべてに対して興奮状態になっている。

比較的穏やかな性格な父がとても攻撃的だった。目も血走り、言動などもおかしい。もう以前の父とは明らかに違う。その顔は本当に正常な人の顔つきではない。そうかと思えばまた激しく落ち込み寝込む日がある。その繰り返し。

母は病院に連れて行った。診断は精神病ということで、入院するかどうかを聞かれたらしい。入院するとしたら精神病棟になるので、ふつうの病棟とは違う。母は嫌がった。きっとそんなことはないと自分に言い聞かせ、父を、自分を信じたかったのだろう。

そして家に帰ってはくるが、そこからが苦しみの日々となる。

 

父は仕事を辞めた。貯金も退職金もすべて使ってしまった。まだ子ども三人が学校に通っている時に。

母の苦悩はどれくらいの負担だっただろうか。仕事から帰ってきては僕の部屋で母は「どうしよう…」と泣いていた。

僕はまだ子どもでその辛さ、苦しさはあまりわかってあげることはできなかった。

ただ一言「自分達は大丈夫だから別れた方がいい」と伝えた。

すると母は、「これは病気。今まで一緒にいて、今が辛いからといって見捨てることはできない」と言った。

このような状態になり、母以外の家族は父を恨むようになり、親戚、友人なども離れていき父は一人になった。あの頃、心底父はいらないと思っていた。けれどもそれを繋いだのは母の諦めない、真実の愛だった。

 

恨みを抱く子ども達はそれから何年間も父と口を聞くことはない。その中で唯一、一筋の光明を与えたのは母の苦しみ。母を救いたいという思いは募った。

その思いから、嫌ではあったが父と話したり出掛けたりするようになった。すると少しずつ、少しずつ、以前の父は戻ってきた。

恨みは消えはしないが、母の「心の病を治すのはみんなが話かけてあげること。ありがとう」という言葉に胸を締め付けられる。

あんなに辛かったはずなのに、こんなに苦しいはずなのに、まだ家族と父を心配している。今になって、本当の愛とはこのようなことだと心から思う。

こうして年数を重ね、父は以前の父に少しずつ戻っていった。すべてを失った父だが、家族だけは失わなかった。

それは母がいたから。母の愛が苦しみを救った。

あの時、父を恨み、憎み、本当にいなくなってほしいと思っていたが、父もまた、なりたくてなった訳ではない心の病に苦しんだ一人だった。その時は心を病みながらも、苦しみながらも、ただただ子ども達を育てていかなきゃいけない不安でいっぱいだったと後に語った。

あの時のことを思い出したくはないのか、それとも苦しみから覚えていないのか、父はそれ以上語らない。

 

このように、心の病というものはもちろん本人が苦しむものである。けれども周りにいる人もまた苦しむことになる。その苦しみは本人以上かもしれない。

今は精神医療が発達し、色々な良い薬がある。だが薬と併用に、一番心の病に効くのは大切な人の愛だということを忘れないでほしい。

 

 

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