妻を癌で亡くした。
息子は四歳。早すぎる死だった。
まだ息子には、母親が亡くなったという事が理解できなかったようで、葬儀中もずっと妻に「お母さん、起きて」と話しかけていたし、私にも「お父さん、お母さん、ずっと寝てるよ」と報告した。
その無邪気さに胸が締め付けられ、私は嗚咽を漏らして泣き崩れた。
それから一年が経ち、息子は五歳になった。
私は未だ妻の死から立ち直れておらず、笑顔の無い暗い日々を過ごしていた。息子が寝たらお酒を片手に涙を流す毎日。
けれども息子の前ではせめて良い父であろうと思い、私は息子の前では無理に笑顔を作り、軽く冗談なども飛ばした。
息子は幼いながらも既に死というものの概念を理解し、自分の母親は病気で死んでしまったということを理解していた。
ある日の事だった。
幼稚園で母の日のイベントがあったと言って、息子は「お母さんに書いたの」と手紙を持ち帰ってきた。なんという残酷な行事を…と私は愕然とした。
母親を亡くした子にはあまりにも酷い…そう思ったが、かといって母の日のイベントを中止するよう園にクレームを入れるほど、私は良識を失っていなかった。
「お母さんのところに届けような」
そう言って、仏前に手紙を置いた。
息子が眠った後、私は、息子が妻に宛てて書いた手紙を開けてみた。
若干の罪悪感を持ちながらも、天国にいる妻に向けて読んでやろうという理由を無理やりつけて、手紙に目を通した。
「おかあさんへ
おかあさん、ぼくは、おとうさんとがんばっています。
おとうさんは、おかあさんがいなくなって、とてもさみしいです。
いつも、ないています。よるは、いつも、ないています。
おとうさんに、もうなかなくていいよっていってね。
おかあさんは、おそらからぼくたちをみているから、おそらから、おとうさんにわらってっていってね。」
平仮名ばかりの、それも下手くそな平仮名ばかりの、たどたどしい手紙。
普通の家庭の子どもならば「おかあさん、いつもおいしいごはんをつくってくれて、ありがとう」などと書くのだろうか。
息子の気持ちが痛いほど込められた手紙に、私はハッとさせられた。
そして病床の妻に言われた言葉を思い出した。
「私のことを思い出して笑顔になれるなら、時々私のことを思い出して。もし泣いてしまうなら、忘れてしまっていいよ」
その時は、何を言っているんだ、お前を思い出して涙が流れないわけがないだろう!そう思った。
しかし、息子の心の内を知り、私は大いに恥じ入った。息子に、こんなにも心配をかけているなんて、父親失格だ。天国の妻も「だから言ったでしょう」と呆れているに違いない。
その日を境に、私は妻を思い出して涙に暮れるのをやめた。
妻を思い出し、笑顔で思い出を語る事にした。
息子がそんな私の姿を見て、仏前の妻の写真に「お父さん、元気になったよ」と嬉しそうに報告しているのを聞いて、私は「もう心配いらないからな」と天国の妻に呟いた。