祖母が認知症になり、それが進行し、誰も分からなくなってしまった。
始まりは物忘れが激しくなったことだったが、気付いたら自分の娘を嫁の名前で呼んだり、孫を娘の名前で呼んだり、ヘルパーさんに毎度「はじめまして」と言ったり、誰が誰だか分からなくなってしまった…。
幸か不幸か足腰が悪く勝手に徘徊することはなく、ただ大人しくベッドに横になっているだけだったが、母は介護で疲れていたに違いない。
私は小さいころからおばあちゃんに育てられた。
教員をしていた両親はいつも忙しく、母はすぐに復職してしまったため、いつも祖母に面倒を見てもらっていた。授業参観や運動会も、両親の勤務先の学校と重なることも少なくなく、祖母に来てもらうことが多かった。
祖母自身も教員で、現役時代は音楽を教えていた。そのため、私は祖母にたくさんの歌を教えてもらい、ピアノも手ほどきを受けた。
祖母と過ごす時間は音楽で溢れていた。
そんな祖母が認知症になり、私のことを忘れてしまうことが怖かった。
寂しさというよりも、悲しさの恐怖を感じて、思春期も重なり私は徐々に祖母を避けるようになっていた。
祖母は奇声を挙げたり大声で怒鳴ったりすることもなかったので、祖母が寝ている部屋に近づかなければ、まるで存在していないかのように静かだった。
私の中で、私の知っている祖母はもういなくなり、過去の存在となりつつあった。
そんな祖母がいよいよ危ないという知らせを母から受け取り、私は急いで自宅へ戻った。
「おばあちゃん、今夜が山だって」
母は静かにそう言った。もう全てのことを覚悟しているようだった。
過去の存在となったはずの祖母が、急に蘇ったように私の心に戻ってきて、私は祖母が寝ている寝室へ駆けこんだ。
「おばあちゃん…」
声をかけると、もう自力でほとんど声が出せなくなった祖母がこちらを見た。
しかし表情は変わらない。ガラス玉のような瞳は、どこを見ているのか分からないように一点を見つめていた。私の視線とは合わなかった。
私は祖母の傍にしゃがみ込み、その細い手を握り、言葉をかけた。
何の反応が無くても、最後に祖母を言葉を交わしたくて、私は祖母に言葉をかけ続けた。
ふと思い立って、幼い頃祖母と歌った数々の曲を口ずさみ始めた。
すると、握っていた祖母の手が微かに動いたような気がした。ハッとして祖母を見つめて続けて歌った。祖母の表情が少しだけ、ほんの少しだけ動いた。口角が上がっている。その瞳は私の瞳を見つめ返していた。
涙が溢れてきて、声が詰まったが、私は歌い続けた。
私の歌声を聞き、家族が集まってきた。
「おばあちゃんが笑ってる」
母がそう言って、皆が笑顔になり、私の歌はやがて家族の大合唱となった。
家族の歌に包まれて、祖母は永遠の眠りについた。
葬儀では、祖母が大好きだった数々の曲を、私がピアノで演奏した。
思い出すように、見送るように。
棺の中の祖母はそれはそれは安らかな顔をしていて、子どもの頃の祖母のままだった。