雨が降ると、いつも妻が駅まで傘を持って迎えに来てくれた。
新婚時はお金が無く、車を持てず、勿論タクシーなど易々と使えなかった僕たちは、いつも駅まで歩き電車を使って出かけていた。
僕は荷物が多くなるのが嫌で、折り畳み傘を持ち歩かなかった。天気予報のチェックもせず、家を出る時に雨が降っていなければ、傘を持たずに出かけてしまった。
妻は、そんな僕に文句を言うこともなく、帰宅する時間に雨が降っていれば、いつも駅まで傘を二つ持って迎えに来てくれた。
一つは自分がさし、もう一つは僕のために閉じたまま。両手に傘を持って駅で僕を待つ妻は、いつも僕の姿を見つけると「おかえりなさい」と笑った。
やがて僕たちは子宝に恵まれた。
しかし神様はとても残酷で、子どもの命と引き換えに、妻の命を持っていってしまった。
壮絶な難産の末、妻は自身の命を娘に託し、息を引き取った。
僕ひとりで娘を育てるわけにはいかず、実家へ帰り、両親と共に娘を育てた。祖父母と僕の愛情を一身に受けて娘はすくすくと育った。
しかし、多感な年頃になると、母親がいないことで何か思うところがあったのか、いわゆる反抗期のようになり、色々と口を出す祖父母や僕のことを疎んじるようになった。
そんな娘と、言葉を交わさなくなり、いつの間にか会話の糸口を見失い、家の中ですれ違うようになった。
娘の反抗期は落ち着き、祖父母との関係は元に戻ったらしかったが、僕との関係はぎくしゃくしたままだった。
そんなある日、僕は相変わらず傘を持たずに家を出て、帰宅時間に土砂降りに見舞われてしまった。
流石にタクシーを拾えるくらいの余裕はできていたので、タクシーをつかまえようとロータリーの方へ向かおうとした時、「お父さん」と声をかけられた。
振り返ると娘が立っていた。
ちょっとぶっきらぼうに声をかけてきた娘は手に傘をぶらさげていた。
「傘、無いの?」
久しぶりに娘に声をかけられて、上手く言葉が出てこない僕を呆れたように見つめ、娘は少し溜息をついた。
「今日天気予報で午後から荒れるって言ってたじゃん」
そして、手にもっていた傘を僕に差し出した。
「はい、これ。使っていいよ」
「え、お前は?」
「私は、これあるから」
娘はそう言うと、鞄の中から折り畳み傘を取り出した。成り行きで娘と帰途を共にしながら、僕は妻のことを思い出した。
何を話したら良いか分からなかったということもある。僕は娘に妻の話をした。雨の日には必ず傘を持ってきてくれたこと。いつも笑顔で「おかえりなさい」と言ってくれたこと。
話しているうちに妻を思い出し、声が詰まる。
涙をこらえようと、ふと娘の横顔を見ると、妻そっくりで、逆効果だった。
涙声になる僕に、娘はポツリと呟いた。
「お母さん、私を産んだ時に死んじゃったんだよね。私のせいで…」
僕は思わず娘の顔を凝視した。
娘が母親のことを考えないように、なるべく妻の話題を避けてきたが、まさかそんな風に思っていたなんて。僕は、娘をじっと見つめて力強く「そんなこと、あるわけないじゃないか」と言った。
「お前は母さんが命と引き換えにこの世界に産み落とした、大切な大切な宝。母さんはお前に自分の命を託したんだ。母さんは、笑顔だった。生まれたばかりのお前を見て、たしかに笑って喜んだ。そして、父さんに『素敵な贈り物をありがとう』と言ったんだ」
それから僕は、娘のことをどれだけ大切に思っているか、娘がどれだけ妻に似ているか、必死に語った。
土砂降りの雨も、僕の涙を隠すことはできなかった。
娘の涙も隠せなかった。僕たちは傘を並べ、肩も並べ、一緒に家へ向かいながら大いに泣いた。
それから、僕と娘の関係は、ぎこちないながらも少しずつ良くなっていった。
特に、雨が降ると、相変わらず傘を持たず天気予報も見ずに家を出る僕のために、娘が傘を持ってきてくれるようになった。
僕もタクシーをつかまえずに、駅で娘を待つ。雨が降るのが心なしか楽しみに思えるのは、実に十六年ぶりのこと。
亡き妻との思い出が蘇ったように、そして三人で傘をさして歩くように、これが僕たち親子にとって大切な時間となった。