夕焼け小焼けで日が暮れて
山のお寺の鐘が鳴る
おててつないで皆帰ろ
からすと一緒に帰りましょ
毎日夕方の五時になると、童謡「夕焼け小焼け」のメロディが街中に響き渡る。
この音楽が鳴ったら、外で遊んでいる子どもたちは皆家に帰るのだ。その合図となる音楽が、毎日毎日流れる。
私は、この音楽が流れる頃には、いつもパソコンの目の前で猛然とキーボードを叩いている。
結婚して子どもを授かり、産休を取って子育てに奮闘していたが、子どもが八ヵ月になるタイミングで保育園に預けて、職場に復帰した。
定時である六時まできっちり働いて、急いで帰途につき、保育園に子どもを迎えに行き、家に帰ってから家事を次々に片付け、少し遅れて帰ってくる夫と夕飯をとり、子どもの面倒を見て、寝る。
そんな毎日を慌ただしく過ごしていた。
夕方五時というと、定時まで一時間という合図なので、やり残したことが無いように、そして定時で会社を出るために、必死にその日の業務を片付けるラストスパートの合図でもあるのだ。
忙しい毎日に疲れが溜まり、つい子どもや夫にきつく当たってしまうことも多いと自覚していた。子どもは気付いたら三歳になっており、なんだか忙しくしているうちにあっという間に大きくなってしまった。
そんなある日、昨今の働き方改革の余波で、会社から二ヵ月に一回は必ず有給を取るようにという通達があった。
私の子どもは身体が丈夫で、保育園から「お熱が…」という電話がかかってきたことがほとんどない。だから、普段は有給を使っていなかった。
会社からの通達で、久しぶりに有給をとることにした私は、子どもをいつも通り保育園に送り届け、四時にお迎えに行けるということを伝えた。
いつもよりも早く私の迎えがあり、子どもは喜んでいた。公園に寄りたいというので、公園に立ち寄って子どもの遊びにつきあう。無邪気に遊ぶ子どもの顔を見て、なんだか満たされるような気持ちになった。
そして、「夕焼け小焼け」のメロディが流れた。
その音楽に反応し、子どもが「ゆ~やけこやけでひがくれて~」と口ずさみはじめた。きっと保育園で歌っているのだろう。
「お~ててつないで」のとろこで、私に向かって小さな手が差し出された。
私はその手を掴んで、メロディに合わせて繋いだ手を振った。
音楽が鳴りやむと、子どもがニッコリ笑って、こう言った。
「お母さんとおてて繋いで一緒に帰れて、うれしいな」
いつも、自転車で迎えに行き、子どもを後ろに乗せて顔も見ずにまっすぐ家に帰り、帰宅後も子どもにテレビを見せて私は家事でバタバタし、子どもと手を繋いだり、一緒に歌を歌ったり、顔を見てお喋りしたり、していなかったと思い出した。
そしてまるで曲に合わせたかのように、空には見事な夕陽が出ていて、公園を真っ赤に染めていた。
夕焼けを見たのは、いつぶりだろう。
いつもパソコンしか見ておらず、気付けば夜になっていた。
空は確かに青空が夕陽に染まり、やがて夜の帳が降りるのだ。
久しぶりに目の前に広がる夕焼けは、忙殺されていた私の心を揺さぶった。子どもと過ごす時間、空を見上げる時間、自然の移ろいを楽しむ時間、そういった貴重な時間を、もっと持とうと思った。
なぜかふいに涙がせり上がってきて、私は子どもに涙を見せまいと、ギュッと抱きしめた。
子どもは恥ずかしそうに身じろいだが、なんだかとても嬉しそうだった。