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2020-07-20

風になった彼

風は見えることはない。

見えるようにもさせてはくれない。

けれども人は風を感じることができる。

心の中に描くことはできる。

時に実体があるかのように。包み込むように。

感じる風というものに心が靡いてゆく。

 

陽だまりの朝、森の散歩道を私は歩く。

ここは彼と過ごした場所。いつもいつも、幸せな時間が流れた場所。そこでは緑が茂り、鳥がさえずる。花が咲き、綺麗な湧き水が流れる。

三年前、彼は私を導くようにここへ連れてきてくれた。そしてこの場所で彼と描く絵と、過ごす時が大好きだった。

私と彼はデザイン学校で知り合い、夢同じく画家を目指していた。彼は私の先輩にあたり、都内の美術賞を幾度も受賞する、才能溢れる優しい人。

いつかこの人はもっともっと有名になる。そう思うと少し寂しく、とても誇らしかった。

けれどもその思いは絶望へと変わった。彼は病気により私を置いて天へ旅立ってしまった。

旅立つ前、彼は私に言った。

「あの場所でいつも見守っている」と。

それから悲しみに暮れる日々が続いた。私は毎日涙を流し家に籠る生活。大学も行かず、絵を描くこともやめてしまった。

ある日、窓からやさしい風が陽射しと共にカーテンをゆっくりと靡かせた。その様子を見つめながら、私は『あの場所でいつも見守っている』という彼の言葉を思い出す。

そして導かれるようにあの場所へと向かった。

立ち尽くし、目をつぶると風がやさしく私を包む。まるで彼が抱きしめてくれているかのように、彼が風となり私に伝えてくれる。風となり私を見守ってくれている。そう感じた私は、悲しみしかない自分の中から少し抜け出せた気がした。

それからは家に籠ることもやめ、しっかり彼の分まで生きていかないといけないと強く思うようになっていった。それはいつも風と共に彼がいてくれるから。どんな時もあの場所にいくと彼が風となり伝えてくれる。

激しい風が吹くと彼が背中を押してくれる気持ちになる。やさしい風が吹くと彼が抱きしめてくれる気持ちになる。ふわりと髪を靡かせる風が吹くと頭を撫でられている気持ちになる。どんなことも、どんな気持ちも彼と寄り添うように風が私に吹く。

そんな彼の風が心地よく、私はこの場所にいるといつも彼が見守ってくれている時を感じた。

そして私はもう一度、その場所で絵を描くことに決めた。

風になった彼の姿を表現しようと、どこか寂しく、けれどもかろやかに私の手は動き出す。

完成を間近に迎えた時に、あたたかくやさしい風が絵と私を吹き抜けた。

「素晴らしい絵だよ」

心から彼がそう微笑んでくれているような気がした。

彼は『あの場所でいつも見守っている』という言葉通り、風となって私を包み込んでくれている。

決して見えることがない風になった彼。

いつか私も風となり、彼と一緒に空を飛ぶ。

 

 

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