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2020-10-08

昔話

冬の夕暮れが近くなる日、テレビが鳴りストーブの火がゆれるいつもの家の中、祖母がゆっくりと口を開いた。

「昔はこんな生活がくると思ってもみなかった。昔はね…」

 

第二次世界大戦中に祖母は生まれた。この頃、多くの人は苦しみの中の生活を強いられていた。

産めや増やせやの時代、六人兄妹の一人娘として祖母は生まれた。

貧困と絶望。食べる物も少なく、生きるということだけで精一杯。隙間風が吹くボロボロの家で川の字になって寝ていたらしい。

上の兄二人は戦争に行き、生活は父と母、二人の兄と弟で暮らしていた。山奥に住んでいたため、薪を取りに毎朝出掛けなければ生活ができない。祖母は料理や洗濯などより、兄達と毎日薪を運んでいた。

そんな生活を送っている中、台風の影響で家の近くの川が氾濫し、それに飲み込まれた兄の一人が死亡した。悲しみに暮れていると、続いてもう一人の兄が木に登っていたところ、木から転落してしまい死亡してしまったらしい。祖母は、家族に死が訪れるのはとても悲しかったが、今のような葬式などはできなく、最低限の葬式にお参りするだけだったという。悲しみなどに暮れる余裕などはなく、生きていかなきゃいけない現状が一番だったと。

これを聞き、冷たいなどは思わなかった。それほどまでに「生きる」ということは何よりも強かったに違いない。

今の時代では「生きる」ということが辛いとよく聞くが、本当に「生きる」ということは辛いなどと言っていられないことなんだろうとしみじみ思った。

 

そして祖母は十八歳の時に嫁に出た。家族を残して行くのは心配だったが、遠い地で祖父の家族と暮らすこととなった。

祖父の家は警察官の家系で、厳格な家柄だった。祖母は田舎で育ち、何もわからない人だったため、そんな家柄にはまったく合わなかった。

お風呂を入れるのも蛇口からなどは知らない。ご飯を作るのも料理などはわからない。何をするにも初めてのことばかりで、祖父の母親に叱られる毎日を過ごした。

それでも隙間風がない暖かな家に住み、三食ご飯を食べられる生活は嬉しかった。幸せとは人が感じるものによって違うもの。誰が何と言おうと、祖母にとってはそれが幸せだったという。

時が経ち、子宝に恵まれた祖母は女の子を二人産んだ。僕の母親と叔母さんだ。

けれども決して家族円満という生活ではなかった。祖父は叔母さんを授かった時に、「子どもは一人で十分」と言って祖母を罵倒したらしい。そして祖母のお父さんが亡くなった時もお葬式には行かせてくれなかった。この二つの出来事を祖母はずっと根に持ち、祖父のことを恨むように言っていた。

それでも夫婦とし、生涯を通して一緒にいた仲。祖父が亡くなった時、祖母は「ごめんね」と呟いていた。

色々と話はするが、祖父と祖母、二人にしかわからないことはいっぱいあっただろう。そしてその時に感じた気持ちも、最後にはお互いの中でどう変わっていったことも、きっと二人にしかわからない。

 

昔の話を聞くと、現代では考えられないような話ばかり。

それはどこか胸を締め付けると同時に、今を生きる強さをくれる。

ストーブの火がゆれる中、時計の秒針だけが静かに鳴っていた。

 

 

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