toggle
2019-10-11

想い人

もう何度寝返りを打っただろうか。

眠れない。

心臓が刻む鼓動が耳元で鳴り響いて、目を閉じても全く眠気に襲われず、頭が冴えてしまっていた。浮かぶのは彼の姿、彼の声、彼の存在…。

嗚呼、一体どうしたというのだろう。

私はまたひとつゴロンと寝返りを打って、どうか睡魔に襲われますようにと目を閉じた。

しかし襲ってくるのは睡魔ではなく、彼の姿、声、存在だけ…。

 

数時間前まで気心知れた仲間と飲みに出かけ、楽しいひと時を過ごした。

その中に彼がいた。彼の事は以前から少し気になっていた、というか、目の保養だと周りにも言いふらしているくらい好みの容姿だったので、その日も私はご機嫌だった。

ひとしきり飲んで、皆で揃って店を出て駅の方へと向かった。

私は彼とは逆方向へ向かう電車に乗った。彼は、女友達と一緒に電車に乗り込んで去っていった。

その姿が目に焼き付いて、私の心をざわつかせた。

なぜか、二人が電車の中で楽しいお喋りに興じている姿を思い描いて、無性に苛立ちを感じたのだ。彼の隣に立ってつり革につかまっているのが、なぜ私ではないのか、と口惜しい気持ちでいっぱいになった。

そして、帰りの電車の中で、半ば酔った状態にありながら、私は女友達への嫉妬と、彼への恋心をハッキリと自覚した。

他の女と二人きりになってほしくない、私だけを見ていてほしい、そう思ったのだ。

 

そしてその晩、私はついに一睡もする事なく朝を迎えた。

誰かの事を想って心を焦がして夜を明かした事など無かった私は、我が身に起きた事態を重く受け止めた。

しかし、彼に想いをぶつける事は無かった。

彼の気持ちを知る事が怖くて、彼との関係が崩れる事も怖くて、私は臆病になっていた。

何年も彼への想いを封印したまま、時は流れていった。

 

そして三年後、私と彼と、そして女友達と、他にもあの日に共に飲んだ仲間は、相変わらず時折連絡を取り合っては飲みに行く良い関係を保っていた。

そんなある日、彼から海外転勤の話が飛び出た。

私の頭は真っ白になった。

周りの仲間たちは送別会の話で早速盛り上がっていたが、彼が私の方を見て顔色を変えた。「どうした?」

困惑したような声色でそう聞かれて、私はハッと我にかえった。そして、目の前の景色がぼやけて見える事、頬に何か生暖かいものが伝っている事に気付いた。

彼の声で、仲間たちも私の涙に気付いたようだった。

私は、恥ずかしいやら情けないやらで「ごめん、なんで、おかしいな、どうしたんだろ、私…」と言ってから、慌てて「コンタクトでもずれちゃったかな」と言い訳がましく言って、トイレへ逃げ込んだ。

すると、彼が追いかけてきて、私を捕まえた。

「…っ!!」

涙が後から後から溢れてくるのを止める術がなかった私は、彼にまじまじと見つめられて、もうこらえられなくなった。

「…好き」

意図せず、言葉が口から零れ落ちた。

彼はまず無言で私を強く抱きしめてから、それからゆっくりと私の目を見て「ありがとう」と言った。そして「俺も、実は…」と口を開いて、私たちは実は両思いだったという事が明らかになった。

私は幸せだったが寂しかった。

すぐにやってくる彼との別れを思うと、どうしてもっと早く自分の想いを伝えなかったのかと後悔する事もあった。

 

彼が出発する日の前日、私は一日中泣いていた。誰かの事を想って日がな一日涙にくれる事など、今まで一度もなかった。

一睡もできずに夜を明かした事も、一日中泣き続けた事も、後にも先にも一度もなかった。

そんな風に思える男性は、彼ひとりだった。

空港まで見送りに行き、泣くまいと無理をして笑った私を、彼はまた無言で強く抱きしめた。

空にはいくつもの飛行機雲が、現れては消えていき、儚いような美しいような不思議な風景を描き出していた。

飛行機雲の間を飛んでいく、彼が乗った飛行機を見送りながら、私はまた視界が急激に霞んで頬が熱いような冷たいような不思議な感覚で濡れていくのを感じた。

 

 

関連記事